「田ノ神さあ」が見守り続けてくれている、鹿児島の米づくり

八重の棚田-桜島 名産品
八重の棚田と桜島

「日本の米どころといえば?」と聞かれて「鹿児島」と答える人は少ないでしょう。
それに異論はありませんが、鹿児島県内を車で走っているとよく目に入るのは田んぼ、たわわに実る稲作風景なんですよね~。

かつて鹿児島は農産物不毛の地といわれていましたが、現在は農業産出額が常に全国トップ5に入るほどになっています。
これは、みなさんご存知の畜産物だけでなく、野菜類の栽培も増えているからです。米の生産も例外ではありません。
鹿児島県で生産されている米も、「米どころ」といわれる地区の米に負けない高品質のものが、今では生産されているのです。

農産物不毛の地から、緑豊かな農地への道のり

シラス台地と台風被害

鹿児島県本土の50%以上が、約2万9000年前に錦江(鹿児島)湾奥部で起こった大噴火による入戸火砕流(いとかさいりゅう)の堆積物の「シラス台地」。
さらに厄介なことに、その上に「ボラ」と呼ばれる霧島・桜島両火山からの噴出物、薩摩半島南部は「コラ」という開聞岳からの噴出物が分布し、作物が育ちにくい水はけの良過ぎる乾いたやせた土壌でした。

シラス台地と呼ばれるように高台になり、川は奥深い下方を流れているので、その数キロ先の川まで水汲みに行ったり、掘削機も無い時代に深い所では60m以上の深井戸を掘らねばならず、作物を育てるどころか飲み水の確保も大変だったといいます。
おまけに風が強く台風もよく通るということで、苦労して作った稲なども被害に遭うという農産物不毛の地が多く、サツマイモやナタネなどの乾燥に強い作物で、なんとか飢えをしのぐという地域もありました。
お米は、日本人の主食であるだけでなく、年貢でもわかるように江戸時代まで「お金と同じ価値のある重要な作物」であったため、昔からたゆまぬ努力が重ねられてきましたが、ほとんどうまくはいかなかったようです。

1914(大正3)年の桜島大噴火

黒神埋没鳥居-桜島
黒神埋没鳥居(桜島)

それでも少しずつ水を引く工事を行い土壌改良に取り組んでいた大正3年、桜島と大隅半島が陸続きになった、あの桜島大噴火が起こり、とくに大隅半島の笠野原台地などは、頑張って耕した土地が荒れ果ててしまいます。
しかし人々は諦めませんでした。
鹿児島県と農家の人々が一丸となり開拓に取り組み、翌年から高隈(たかくま)山系を水源とする水道工事を行い、約5200ヘクタールを開墾。耕地の整理も行われ、直線道路を縦横に通し、どの畑にも車が横付けできるようになりました。

それでも乾いた台地の水の足りない状態は依然としてあり、晴れの日が続けば干上がってしまいます。そのため農作物は、サツマイモやナタネなどに頼るしかない不安定な状況は、あまり改善しませんでした。

鹿児島では「何よりも水の確保」が、長年の切実な願いだったのです。

大規模な国営かんがい排水事業

給排水溝-バルブ
給排水溝のバルブ

第二次世界大戦後、国は国家的課題として「食糧増産」を掲げました。
その全国における第1号地区として、1955(昭和30)年に国営笠野原畑地かんがい事業が実施されたのを皮切りに、大規模なダム・調整池の建設やパイプラインの整備などが、様々な地域で行われました。
薩摩半島南の南薩台地も、この国営事業に合わせ県営畑地帯総合土地改良事業により、優良農業地域になったシラス台地の一つです。
南薩台地ではダムの建設ではなく、池田湖の水を引くという計画で工事が施工されました。
同時に、「ボラ」「コラ」を排除するホ場整備事業・土壌保全事業も行われました。

この事業らによって、水の確保、そして給水栓の操作をすることで水量の調整もできるようになりました。
稲が元気に育つためには、常に新鮮な水を根っこまで浸透させなくてはいけませんが、鹿児島は水自体は豊富なので、パイプラインが整備されたことにより、それも可能になりました。

そして、稲作だけでなく茶葉・そら豆・オクラ・かぼちゃなどの農作物の栽培、牛・豚・鶏などの畜産も盛んに行われるようになったのです。

鹿児島県で栽培されているお米の品種

ご飯-豚カツ定食

日本で「米どころ」とされる地域は、北陸や東北・北海道が多いので、寒い地方に適した作物と思われている人もいるかもしれませんが、東南アジアのタイなどでも作られているように、暖かな地方でも美味しいお米はできます。
鹿児島県では、その暖かい気候を活かして、7~8月に稲刈りをする早期水稲と、9~11月に稲刈りをする普通期水稲を作っています。

早期水稲

コシヒカリ

粘りと弾力・ほどよい甘さ・ツヤがあり・冷めても美味しいということで、全国のいろいろな地域で作られているコシヒカリ。
鹿児島県では、早場米品種として栽培されています。
主な産地は、南さつま市、大隅の志布志市・大崎町、熊毛の西之表市・中種子町・南種子町と、比較的暖かい地域で、7~8月の収穫を目指し作られています。

シラス台地は水はけが良すぎて、乾いた痩せた土地ということで長年苦しんできたわけですが、シラス台地により濾された湧水は、とても清らかなうえにミネラルが豊富!
薩摩半島の霊峰・金峰山の清らかな水を、金峰ダムからパイプラインで田んぼに送る環境の中で栽培している金峰コシヒカリは、粘りがありみずみずしさを感じる上品な味わいで、優しい甘さが口に広がります。
熊毛地区の種子島も、暖かな太平洋の風と山からの清らかな湧水に恵まれています。また害虫が少ないということで、駆除のための農薬散布も減らすことができるというメリットがあります。
コシヒカリは背の高い品種なので、鹿児島は8月から9月は台風襲来が多いということで、風で倒される前の7月上旬頃に収穫するお米作りがされていて、「日本一早くて美味しいコシヒカリ」が定着しています。

峰の雪もち

餅として最も食味が良いといわれている「こがねもち」並みに優れているとされている、早期栽培用のもち品種です。
主な産地は、南九州市・鹿屋市・志布志市・大崎町・西之表市。

田んぼ-田植え風景

普通期水稲

ヒノヒカリ

「九州のお米は美味しくない」というイメージを大きく変えたヒノヒカリ。
「コシヒカリ」と収量が優れている「黄金晴」を掛け合わせ、宮崎県総合農業試験場で育成され、1989(平成元)年にデビュー。
温暖な気候に合った九州地方の代表的な水稲うるち米になり、コシヒカリやひとめぼれに次いで作付面積が広い人気品種です。

小粒でありながら、柔らかで厚みがあります。ほどよい粘りとモチモチ感・甘みのバランスが良く、あっさりとした食味。
そんなに味に主張がないため、どんな料理にも合わせやすく、炊き込みご飯やチャーハンなどでもベチャッとせずに美味しくできるので、常用米として人気があります。
主な産地は、薩摩川内市・さつま町・出水市・伊佐市・霧島市・湧水町・大隅の曽於市と、鹿児島県の水稲の主力品種です。

あきほなみ

鹿児島の気候風土に適した品種の育成を目指して、食味の良い「ヒノヒカリ」系統の「99S123」と病気への耐性が強い「越南179号」を掛け合わせ、鹿児島県農業開発総合センターが開発した鹿児島県オリジナルの品種。
「秋にたわわに実った稲穂が波打つ様子」のイメージが名前の由来です。
主な産地は、薩摩川内市・さつま町・伊佐市・霧島市・姶良市・曽於市。

粒が大きく粘りが強く、さっぱりした味の中にモチモチを感じ、ツヤ・甘みがあります。冷めても粘り過ぎたりパサついたりしない美味しいお米です。
あきほなみは、食味ランキングで2013(平成25)年産から2019(令和元)年産まで7年連続で特Aを獲得しています。
※特Aとは、日本穀物検定協会が良質な米作りの推進と米の消費拡大に役立てるために、専門の食味評価エキスパートが、基準米と試験対象米とを比較し評価した食味ランキングで、5段階中最高位のことです。

はなさつま

鹿児島県農業試験場が「南海62号」と「ヒノヒカリ」を掛け合わせ、2000(平成12)年に育成した水稲粳品種。
収穫時期は10月下旬の晩生で収量性が高い品種です。
主な産地は、さつま町・霧島市・姶良市・曽於市です。
玄米の品質が優れており、炊き上がりがしっとり柔らかで粘りと光沢があります。
冷めるとあっさりとした食味になり、鹿児島のブランド焼酎の原材料にも使用されています。

彩南月

低アミロースのため単品では粘りが強すぎますが、ブレンドすることによりベースとなる品種の外観や粘りが向上します。
しっとりとした食感なので、かるかんなどの和菓子の原料にも使用されています。
主な産地は、さつま町。

他にも「さつま雪もち」「さつま絹もち」「さつま黒もち」「さつま赤もち」「佳例川源流米」などが栽培されています。

米は毎日の主食になるだけでなく、加工用としても、焼酎やお酢の原料、畜産の飼料、稲穂はWCS用になるなど、とても重要な作物でもあります。
※WCS=稲穂と茎葉を丸ごと刈り取りロール状に成形して、フィルムでラッピングし乳酸発酵させた牛の飼料

鹿児島県の米どころ、伊佐市

伊佐市-曽木の滝
曽木の滝(伊佐市)

そんな鹿児島県のなかでも「米どころ」として認識されているのが、県の最北部に位置する伊佐市です。

とはいっても、昔から「米どころ」だったわけではありません。逆に明治時代初期までは他の地域と比べても、米の収穫量が少ない所でした。
それで、これではいけないと明治時代に「農業改良視察団」を結成し、農業先進地の視察・研修を行い、堆肥づくりや農機具導入による作業の効率化、優良品種の導入など、地域をあげて懸命に取り組みました。
その後、1965(昭和40)年から田んぼの大規模区画整理や川内川とその支流の河川改修などが行われ、現在の実り豊かな一大田園風景が作られていったのです。

伊佐米が美味しく育つのには、大きく3つの理由があります。

清らかな水が豊富

伊佐市は四方を山で囲まれている盆地に位置します。山に浸透した雨水が、川や地下水として豊富に湧き出ています。
それで、伊佐の田んぼには清らかでミネラルたっぷりな水を常に入れることができるので、稲の大事な養分になります。

秋口の昼夜の寒暖差が大きい

伊佐の気候の特徴として、秋口になると朝晩と日中の気温差が大きいというのも一つの理由です。
穀物の種子(米)が発育・肥大する時期、太陽の光が注がれている日中に養分としてデンプンを蓄えますが、それは稲の成長のため。
ですが夜に気温が下がるとその成長を休むので、蓄えた養分をあまり消費しないのです。
結果、昼夜の寒暖差が大きい地域の稲には、栄養と旨みが残ったままになるので、粒が大きく、粘りや甘みのある美味しい米になります。

良質な土壌づくり

これはどこの農家さんも努力されていることだとは思いますが…。
先人達のたゆまぬ努力を引き継ぎ、堆肥を工夫したり微生物を活性するなど、しっかりとした土壌づくりを大切にしていることです。
また、食の安心・安全を考え農薬を極力少ない量にするなど、こだわりを持ち愛情を込めて丹念に作っています。

伊佐市で主に生産されているのは「ヒノヒカリ」と「あきほなみ」。
粒が大きく、ほどよい硬さで冷めても美味しく、もちもちとした食感。噛んだ時に口の中にやさしい甘みが広がるのが特徴です。

鹿児島県に多い、豊作の守り神「田ノ神さあ(たのかんさあ)」

西田の田の神-田ノ神さあ
田ノ神さあ(西田の田の神)

鹿児島県の田んぼの周辺のあちこちで見かける、不思議な石像「田ノ神さあ」。
その姿には様々なものがあり 碗やシャモジを持っている農民や、衣冠束帯姿の神官・地蔵のものなど、2000体ほどあるといわれています。
なかには県の有形民俗文化財になっているものもあり、現在も信仰を集めています。
そのなんだか素朴でユニークな石像たちは、江戸時代に、一生懸命に作った農作物の出来が悪かったり、台風襲来などで被害を受けることが多かった鹿児島(薩摩)で、農民たちが豊作を願い、また縁結びや子宝に恵まれるようにと、ひとつひとつ心を込めて手作りした像です。

長い年月の中で、形が崩れたり苔むしたりしている神さあもありますが、鹿児島の田んぼ、そして私達の暮らしを見守り続けてくれた田ノ神さあ。
これからも、私達の生活を守ってくださることでしょう。

今日もご飯が食もれる!
幸せやっどなあ

おまんさあは

しょちゅ(焼酎)があれば
他はいらん!のかと思ちょったわ~

稲-彼岸花-アゲハ蝶

参考資料:
鹿児島県 かごしまの米づくり
鹿児島パールライス株式会社 鹿児島のお米
有限会社 山之内米穀 鹿児島の米について
伊佐市 炊き立ても、冷めてもおいしい「伊佐米」
地域の礎 不毛の地から緑豊かな台地へ
まっぷるTRAVEL GUIDE シラス台地がなぜ緑豊かな畑作地帯になった?

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