緑茶といえば「静岡県!」と答える人は、まだまだ圧倒的に多いかもしれません。
1970年代、鹿児島県が本格的なお茶栽培に力を入れ始めた頃、静岡県のお茶生産者の方々に色々なアドバイスをしていただいたのだそうです。
そういうこともあるので、静岡のお茶栽培の歴史についても、簡単に説明してみようかと思います。
静岡茶の歴史
静岡茶の起源は、鎌倉時代に駿河国栃沢に生まれた聖一国師が、留学先の中国(宋)から茶種を持ち帰り栽植したのが始まりと伝わっています。この頃は、てん茶と呼ばれる抹茶の原料が主流でした。
それが今川・徳川時代に御用茶として発展し、家康の時代には駿府城に納められていました。
江戸時代に入り、現在のような形状の煎茶が京都で作られ、静岡にも伝わりました。
このように、静岡でのお茶の栽培は江戸時代から行なわれていましたが、盛んになるのは明治時代に入ってから。
明治維新の後、最後の将軍・徳川慶喜の静岡入りとともに、多くの職を失った旧幕臣とその家族達が静岡に移り住みました。
しかし、静岡に移っても職があるわけではありません。
明治政府は生糸とお茶の輸出を推し進めていました。それで勝海舟の勧めもあり、牧之原や富士山周辺を開墾し、茶畑をどんどん拡げていきました。
茶栽培にあった温暖多雨な気候、消費の多い首都圏や関西にも近いこと、輸出される横浜港が近いなど、静岡は茶生産に適した場所でもありました。
お茶の輸出が始まった頃は、横浜港から輸出されていたこともあり、生産された荒茶は横浜に集められ、製茶加工(荒茶を仕上げ火入れして生成する)を含め、外国商社にほとんどが委ねられていました。
生産地の立場は弱くて利益も薄く、おまけに混ぜ物がされた粗末なお茶が輸出されたりして、評判もよくはありませんでした。
それで静岡のお茶の生産業者は、静岡で生産された品質の良いお茶を直接輸出しようと、粘り強く改革に取り組みます。
やがて、明治32(1899)年に清水港が貿易港に指定され、直接輸出を見越した商社や製茶問屋が静岡市茶町周辺に集まりだし、質の良いお茶も大量に用意できるようになっていきます。
明治39(1906)年、念願だった清水港からの直接輸出が実現します。
茶町周辺の製茶問屋街から清水港へのお茶の輸送量が増え、それが鉄道の整備を促すことになり、茶問屋街と清水港をつなぐ軽便鉄道が開通し、ますます盛んになっていきました。
そして明治43(1910)年、清水港のお茶の輸出量は横浜港を上回って日本一になったのだそうです。
これが、茶葉の集積地が静岡になった経過です。およそ100年前の話ですね。
それから現在に至るまで、静岡はお茶の生産量、日本一を続けています。
優良品種である「やぶきた」の誕生
静岡のお茶を生産量日本一、そして品質の良いものにした理由の一つに「やぶきた」品種の誕生があります。
江戸末期、静岡市に杉山彦三郎という人が生まれました。家業は造り酒屋と茶栽培。
当時チャノキは自然繁殖が良いとされていて、品種改良など誰も考えていませんでした。しかし杉山彦三郎は、チャノキにはそれぞれ特徴があり、それによりお茶にも違いがあることに気がつきます。
全国のチャノキを調べ、自宅近くに所有していた竹藪を開拓し茶畑を作り、それらを試験的に育て、生涯にわたって品種改良に取り組みました。
そして1908(明治41)年に「やぶきた」という優良品種を作り出します。
「やぶきた」は、竹藪の北側に原樹があったことから名付けられたのだそうです。
やぶきたの特徴は、寒さに強くて栽培しやすく、製茶しやすく、風味がよく美味しいということ。
こうした良さが徐々に知られるようになり、昭和28(1953)年に農林水産省の登録品種になります。これをきっかけに全国的に普及していきました。
現在日本で生産されるお茶の70%以上を占めていて、静岡のお茶では90%以上になるそうです。
将来を見据えての今後の課題
生産量日本一を続けてきた静岡県ですが、取り組まなくてはいけない課題はいろいろあるそうです。
新緑の頃、東京から大阪方面に向かう列車に乗っていて、穏やかな丘陵地に続く広大な茶畑が見え始めると「静岡県に入ったんだな」と気づくことがよくあります。とても清々しく、背景に富士山まで見えてくると、なんて美しい景色なんだろうと、うっとりすることもあります。
ただ、この「穏やかな丘陵地に続く広大な茶畑」というのがじつは茶栽培に従事している人々には困った話で、狭い段々畑のため、大型乗用型摘採機が入れられません。
ですので、小型摘採機を使うか、未だに昔ながらの葉を手で摘むしかないという場所が、静岡県には多く存在していて、作業者の負担になっているそうです。
また、日本一の茶処としてのプライドで、急須で淹れる一番茶の質の良いお茶にこだわる生産者が多く、手間ひまはかかりますが、世界農業遺産にも認定されている「茶草場農法」に誇りを持って取り組んでいる生産者達も大勢おられます。
しかしペットボトル茶が普及している現在、国内消費が伸び悩んでいるというのも問題です。
静岡県だけでなく日本全体で、もちろん鹿児島県にも問題がないわけではなく、長引く新型コロナウイルスの影響で、新茶イベントが中止になったり、外出自粛で業務用お茶の需要が減ってしまったりしていたそうです。
こういう状態が続くと、あるいはまた何が起こるか分からないなか、生産量だけ増やしても需要がなく、余らせる結果になるなら意味がありません。
それでなくても日本の人口がますます減少することが見えていることもあり、生産量を競うというより「これからは手を組んでオールジャパンで、輸出も視野に入れ普及に取り組んでいきたい」というのが、日本の茶業関係者の一致した考えなのだそうです。
静岡の生産者の方々も
苦労しちょっのねぇ