主食になるだけでなく、経済・文化にも影響を与えた日本の米づくり

食べ物こぼれ話

現在の食生活では、ラーメンやパスタなどの麺類やパン等を主体に食べるという時もありますが、基本的には一汁三菜。日本の食事の汁物とおかずの真ん中にあるのは「ご飯」ですね。

世界で食べられているお米は大きく分けて「ジャポニカ米」「インディカ米(タイ米)」「ジャバニカ米」と3種類があり、日本で主に食べられているのは「ジャポニカ米」。
ジャポニカ米は、炊いたり蒸したりするとふんわりと柔らかく、粘りと弾力があり、噛めば噛むほど甘さが出てきて、冷めても劣化しにくいという特徴があります。
粘りがあるのでまとめやすく、おにぎりやにぎりなども作りやすい米です。

ご飯と汁物・おかずを交互に食べ、口の中で味を混ぜ合わせる食べ方を「口中調味」といいますが、これは他国ではあまり一般的な食べ方ではなく、日本独特の食べ方とされています。
ジャポニカ米の白米は様々な食材との相性が良く、おかずが和食でも洋食・中華でも、この食べ方で違和感なく美味しく食べることができますね。

お米は日本において、主食になるだけでなく、長い歴史の中でお金の代わりになったり、文化や生活にも重要な役割を果たしてきた、類まれな農作物です。
お米が日本の国で、どのような歴史をたどり人々の生活の中に根付いてきたのかを、今回かなり簡単ではありますが、振り返ってみようと思います。

米づくりが、日本国の基礎になる

稲刈り-稲を干す

お米は、インドのアッサム地方が原産地とされており、熱帯地方の暖かい気候とわりと雨が降る地域が適している植物です。
インドでは7000年以上も前から栽培されていたといわれており、日本には約3000年前の縄文時代後期に、大陸から北九州に伝わったとされています。
福岡県福岡市の板付遺跡や佐賀県唐津市の菜畑遺跡などから、水田稲作を行っていた証拠とされる、炭化した米や土器に付着したモミの痕、石包丁・石斧・田下駄等などの農具が発見されています。
水田はきちんと整備されていた様子から、大陸で稲作を行っていた集団が種子とともに水田稲作技術を持って日本に移住し、稲作を行っていたのだと推測されています。

水田稲作は、それから300年くらい後には、静岡県の登呂遺跡で鍬や鋤・堅杵などの農具が発見されていることから、急速に東へ、中国→近畿→東海地方まで伝播していったようです。
青森県南津軽郡の垂柳遺跡でも水田跡が発見されたことで、弥生時代中期には、北海道を除く日本列島の広範囲で、水田耕作が行われていたと考えられています。
縄文時代後期、人々は竪穴住居に住み、植物の栽培も始まっていたとされていますが、食べるものといえば、ほとんどが山の中のドングリなどの木の実や、川や海でとった貝や魚、狩猟した猪やキジなどでした。
米は、その頃に栽培していた他の植物より収穫量が多く、長く保存できるので食糧が安定するということで、土地を耕し水路を造り、急速に普及していったのでしょう。

栄養が摂れるようになると体格もよくなり、生活に余裕ができたことで人口が増え、集落は大きくなっていきます。
そうすると、どこの世界でも同じですが、土地を開墾し集落を大きくして管理するリーダーのような人が現れるようになり、富と権力を持ち始めます。
集落はたくさんの地域国家となり、それをまとめて中央集権国家・大和王国が誕生しました。

「水田で作る米が、日本国家の基礎となった!」といっても過言ではないでしょう。

稲作(米)は国家の財政を賄う重要なものに

その後、お米は大事な食糧になったばかりに、通貨の役割まで担うことになってしまいます。
稲作は国の財政を賄う産業となり、農民達は農地で作ったお米を年貢という税金として納めなくてはいけなくなりました。
この制度は、奈良時代から明治時代に地租改正によって撤廃されるまで、1200年もの間日本で続きました。

年貢量は、時代や地域で若干違いますが、だいたい半分以上を納めなくてはいけません。
残ったものから農作業に必要な器具や生活必需品を買い、正月や冠婚葬祭の日のために蓄えると、日常に食べられる量はわずかしか残りませんでした。
しかも、納める年貢量はその年の出来高で決まるわけではなく、常に地域により量が決まっています。
日照り続きや洪水など災害に見舞われると、作った米では収量が足らず、自分たちが食べようとして栽培していたヒエやアワなどさえ米に代え納めなくてはいけない年もあったそうです。

日本で主に作っているのはジャポニカ米。
春と夏の間に梅雨があり、その後暑い夏がやって来る日本の気候は、苗が成長して枝分かれが終わるまでは多湿、花が咲いた後は日射量が多い環境、比較的寒冷地でも良く育つということで、日本の土地に合っていたからです。
しかし日本は、台風・洪水・地震・フェーン現象・日照りなど、自然災害も多い国です。
農民たちは必死でした。
出来高が悪いとほとんどを年貢に取られてしまい、自分たちが食べる量が残らなくなるからです。

鎌倉時代から室町時代には、棚田なども増え、牛馬耕の技術が広まり、それに伴う肥料の発達、溜池や水車などの灌漑施設も整備されていき、生産力もアップしました。
稲作をする人も増加したことから、村で作業し生活するための共同のローカルルールも生まれます。
農業機械が導入された現在でも残っていますが、「今日は皆んなでAさんちの田植えを、明日はBさんちを」という風に、稲作は村人達が助け合い協力するというようなルールです。

日本の文化も造った稲作(米)

日本は古来より、「八百万の神(自然信仰)」の国です。
太陽・風・山・川・岩・木・草花・鳥・虫などの自然だけでなく、家の中のあらゆる物や便所にも神が宿る、という考え方ですね。
稲作は、台風や日照り・冷害、そして害虫の発生といった自然環境にすぐ影響されるので、人々は自然を畏れ、敬い、様々な儀式や夏祭り・秋祭りで田の神に豊作を祈り感謝しながら、皆で助け合って行われてきました。

米は炊いたりして食べるだけでなく、餅や団子などの菓子類、日本酒、また味噌や酢などの原料でもあります。
神社では、今でも毎年、収穫された新米や餅・日本酒が神に捧げられていますね。
人々は、正月には餅の入った雑煮を食べ日本酒を酌み交わし、年中行事として、鏡開き(餅)・節分の恵方巻き(寿司)・端午の節句(ちまきや柏餅)・十五夜(月見団子)などを食べ、自然に感謝しながら暮らしてきました。
米(稲作)は、長い年月の中で日本の行事などの文化をも造ってきたのですね。

正月-雑煮-日本酒

このように、米という一つの作物が、人々の生活に密接に関わり、経済・文化などのあらゆる面に大きな影響を与えた国は、日本の他にはあまり見当たりません。

米一粒の中に七人の神様が宿っておられる

明治時代になって、米は通貨という役割は終わりましたが、伝統行事などの文化は現代にも受け継がれています。

管理人は子供の頃、ご飯を食べる時に両親などに「米一粒の中には七人の神様がおられるから、一粒も残さないように大事に食べないとバチが当たるよ」とよく言われたものです。
たぶん、そう言われて育ったのは、私だけではないでしょう。
これは、自然信仰の日本で昔から言われてきたことです。
七人の神様とは「水・土・風・虫・太陽・雲・人(作り手)」。
「自然、そして昔から苦労しながら米づくりを頑張ってきた人々に、感謝しながら食べなさい」ということです。
食べ始める前には「いただきます」、食べ終わると「ごちそうさま」と言うのも感謝の言葉ですね。

明治時代以降に、大規模なかんがい排水事業、本格的な品種改良がなされ、コシヒカリをはじめ、いろいろな品種が生まれました。
昔は、寒すぎて米づくりが出来なかった北海道でも、技術の進歩もあり気候にあった美味しい品種が開発されています。

その技術の進歩や和食ブームの影響もあり、今では日本とは気候の違う海外でも、ジャポニカ・うるち米が作られています。
それなりに美味しいですが、日本のお米とは大きく違う点があります。
それは、海外のお米の粒には「七人の神様は宿っておられない」ということです。

私たち日本人の生活に欠かせないお米。お米は「日本の宝」そのものなのです。

冷えたおにぎりには
腸の調子を整える働きもあるんだって!

参考資料:
PUBLIC RELATIONS OFFICE 日本の米
Umipupan 読み物 知っておきたい「お米」の基礎知識
ごはん彩々
江戸食文化紀行NO.53 江戸の美味探訪
全国包装米飯協会 日本のお米と食文化

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